2018年8月23日、第5回エクセレントNPO大賞 市民賞受賞のアルテピアッツァ美唄を訪問しました。メンバーは、協賛企業の野村HD、住友商事の皆さん、運営委員の堀江さん(難民を助ける会)、そして田中です。

1.アルテピアッツァ美唄 ~世界的彫刻家が芸術監督をつとめ、NPOが市民の広場として守り続ける野外美術館~

明治から昭和にかけて、炭鉱の町として栄えた美唄も、40年前に廃坑となりました。当時は銀座通りと言われた繁華街、文化施設、住宅が密集していた地域も今は、見る影もなく、シャッター通りさえなくなり、草木におおわれています。そのような美唄に、別世界が広がっています。それがアルテピアッツァ美唄です。

出典:アルテピアッツァ美唄

アルテピアッツァ美唄については、昨年、応募用紙に記された説明がすばらしいので、こちらを参照させていただきます。

「かつて日本のエネルギーを支えた炭都美唄から炭鉱の灯が消えたのは1973年。三菱、三井の炭鉱は一山一家といわれる濃密なコミュニティに支えられ、オペラ、バレエの一流の舞台がやってくる文化の最先端でもありました。しかし、10万近い人口は、現在2万2千余り。

 東洋のミケランジェロと称される彫刻家安田侃は、多感な少年期を活気あふれる美唄の街で過ごし、イタリアに渡り大理石という素材に出会い、ミラノ、フィレンツェ、ローマなどでの野外彫刻個展を成功させてきました。閉山後の故郷の朽ちかけた廃校の体育館をアトリエに提供され、そこで見た幼稚園児たちが雪の中を元気に走り回る姿に突き動かされて、1992年、アルテピアッツァ(芸術広場)づくりが始まり、現在約7万平米の敷地に40点余りの彫刻が設置され、周囲の自然と深く調和し、人々を魅了します。安田侃の彫刻作品は、自分の心を映す鏡であり、かつてこの地に暮らした人々の喜びや哀しみの歳月を深くにじませた場のエネルギーが多くの共感を呼びます。

 美唄市と安田侃によって今なお創り続けられるこの空間を次世代につなげようと設立されたNPO法人アルテピアッツァびばい。博物館登録されたこの空間を、全国から思いを寄せる約600名の「アルテ市民ポポロ」とともに管理運営を担っています。厳しさの募る市の財政事情や社会経済情勢の変化する中での困難なスタートでした。ギャラリーに置いた雑記帳に「また来ます」と書き残して帰った人たちが、こころのふるさととしていずれ戻ることを思い、入場料は取っていません。年間4千万円近い運営費を、指定管理費のほか寄附金や会費、自主事業で賄います。人々の思いが積み重なった大地とアートとの融合を通して心の「にぎわい」を取り戻し、豊かさの新しい基軸を創造しようという地域再生に取り組んでいます。

 数の論理に依らない空間、入場料を取らない運営、彫刻に触れることも座ることも自由・・・、いずれをとっても世界に類例のないミュージアムが、四半世紀の時を刻むことができたのは奇跡ともいえます。アーティストの溢れる思いとそれを解釈しながら挑戦する行政、地域の枠を超えてアルテピアッツァを支えるNPOの協働が試されています。大理石の彫刻が500年、1000年と形をとどめたとしても、静かに自分と向き合い、心和ませる空間であり続けることは、バトンを未来へつなげていく大きな挑戦です。」

2 彫刻家 安田侃さんの息子さんの案内で作品と芸術を鑑賞

千歳空港で、アルテピアッツァ美唄の樽見理事が待機してくださっており、アルテピアッツァ美唄が手配してくださったマイクロバスで、空港から美唄に向かいました。マイクロバスということで、小型バスを予想していたのですが、大型バスだったので、皆びっくりです。

千歳空港の駐車場で エクセレントNPO様の看板掲げた大型バスが待機していました

アルテピアッツァ美唄に到着すると、事務局長の加藤さん、学芸員の影山さん、そしてこの日のために東京からかけつけてくださった安田侃さんの息子さんの安田琢さんが、待っていてくださいました。

アルテピアッツァ美唄の玄関となる石碑から、柴のスロープをあがった途端に、別世界が広がります。すぐに安田侃氏の作品があるのですが、まるでローマの階段式劇場を思わせます。安田さんが丁寧に作品の意味するもの、制作の背景を説明してくれました。そして、丘を進むと廃校となった小学校の建物と体育館がみえてきます。いずれも、美術館として機能していますが、時にはコンサートホールに、時には市民活動の広場になります。

 

安田侃さんのご子息の琢さんが、作品のひとつひとつについて説明してくださいました

廃校になった小学校の体育館を背景に安田侃の作品「妙夢」のたたずまい。あまりにも自然です。

素人ながら、安田侃氏の作品の特徴を上げなさいと言われれば、自然の中に溶け込んでしまうことを挙げるでしょう。まったく違和感がないのです。そして、誰もが触ったり、座ったりと、肌で作品を感じることができます。作品の中には、どこかで観たことがあるもの、なつかしさを覚えるものがあります。実は、六本木のミッドタウン、札幌駅前など、都内の街角に安田侃氏の作品が設置されているのです。非常に大きな、異素材(大理石やブロンズ)の彫刻なのに、風景にしっくりと溶け込んでしまうのは不思議です。マジックとしか思えません。

作品「真無」、作品と風景が一体となって表情を変えてゆきます

この美術館は無料で、誰でも入ることができます。木陰のベンチで読書をしている人、芝生で小さなお子さんとくつろぐお母さんがいます。ここでは、時間がゆっくり、ゆったり流れていくのがわかります。

野外の作品を散策した後、アルテピアッツァ美唄のカフェで、お茶をいただきながら、理事長の磯田さん、事務局長の加藤さんのお話をうかがいました。加藤さんの、クマさんマネージメントはほっこりしました(小熊が頻繁に出現するのだそうです)。そして、彫刻の体験もさせていただきました。イタリアから持ってきた真っ白な大理石を打つには勇気がいります。

 

作品「天秘」作品の上でくつろいでいます。ロッジの下から河の水の音が聞こえてきます。

アルテピアッツァ美唄は「こころを彫る」という教室を開いています。初回15000円を払いその後は無料、何度でも訪れ彫ることができます。

美術館ツアーが終わると、市の教育委員会の谷川さんが待っていました。炭鉱跡に案内してくださるというのです。美唄繁栄の象徴だった炭鉱跡にも、安田侃氏の作品が置かれていました。ぼろぼろのコンクリートの建物の中も大きな作品が置かれています。炭鉱では朝鮮人など外国人も働き、また事故で犠牲になった人々もいます。安田氏はメモリアルの意味で、あえて荒廃したこの場所に作品を置いているです。

炭鉱の跡地の「妙夢」。安田侃氏はあえてここに設置することを指示したそうです。

3.理事長、スタッフの皆さんとの懇親会

夕方から、美唄名物のやきとり店で、懇親会が開かれました。理事長、理事、そして若手スタッフの皆さんとエクセレント側の皆さん、ビールと焼き鳥に舌鼓です。理事の樽見さんが司会役を務め、ひとりひとり自己紹介が始まりました。質疑応答を交えたことで、自然とアルテピアッツァ美唄の運営にかかる議論に発展してゆきました。

アルテピアッツァ美唄を市民の広場として、そこに集う人々には、上下関係やお金を払う人、サービスを提供する人などの関係を作りたくなく、そのため、入場料を取らない方針を貫いているという説明がありました。他方で、若手スタッフからは、運営の現場の苦しい状況、仕事を続けられる給与水準が必要であるなどの問題提起もありました。

 企業人からみると、4000万円の予算で、7万平米もの広大な土地の中で、これだけ立派な美術館を維持していることは驚きのようでした。他方で、どこかにしわよせが来ているのではないのか、という意見も。下手に市場化に侵されることなく、この美術館の使命とすばらしい芸術の質を維持するために、何をしたらよいのか、悩みながらの意見交換になりました。本音もみえる、熱い議論で、予定の時間を大きく超過しました。

 

美唄名物のやきとり店で。アルテピアッツァの精神を尊重しながらどう運営してゆくかで熱い議論に

参加者の皆さんは、アルテピアッツァ美唄の魅力、安田侃氏の作品の魅力を全身で感じながら鑑賞されたと思います。同時に、それを運営・維持する縁の下の力持ちの存在、その難しさを学ぶ機会になったと思います。これも、アルテピアッツァ美唄の皆さんが、用意周到に、けれどさりげなく、準備してくださったおかげです。改めて感謝もうしあげます。そして、これをご縁に、さらに良い交流機会につながってくれればと思います。

文責 田中弥生