2017年7月11日、「SOS子どもの村JAPAN」(福岡)を「エクセレントNPO」大賞を支援してくださっている企業の方々と訪問しました。同村の方々の熱心なプレゼンに「こういう社会問題があるとは知らなかった」と心を動かされながらも、制度や政策、さらに団体の運営について鋭い質疑応答が交わされました。
「SOS子どもの村JAPAN」(以下、SOS)とは、虐待やネグレクト、疾病などが理由で親と暮らせない事情をもった子どもたちと里親たちが暮らす村です。SOSは、この村で子どもたちを養育しながら、シンボル拠点として、里親制度の普及、子どもの虐待予防活動、政策提言活動を行っています。昨年、第4回エクセレントNPO大賞において、大賞と課題解決力賞を受賞しています。
1. 訪問の目的と参加企業
このツアーは「エクセレントNPO」大賞の一環で、昨年度の大賞受賞団体を訪問するというものです。当初は、受賞団体が記した応募書類(自己評価書)へのフィードバックを行うことを目的に企画していました。しかし、同大賞の協賛企業の方々にもお声がけしたところ、関心を抱かれ、本ツアーに至りました。
2. 「SOS子どもの村JAPAN」の活動 ~施設から家庭的な環境での養育へ~
(1)福岡郊外の畑の真ん中に建設された子どもの村
「SOS子どもの村JAPAN」は、福岡空港から電車で45分の今津という海に面した町に所在しています。きれいに整備された中庭を囲むように5軒の家と事務棟(センターハウス)とミニコンサートができるホール(たまごホール)が建てられています。最初に出迎えてくれたのは3匹の子ヤギでした。ヤギは10匹程いたのですが、地元の企業が除草のためにと飼っていたものをSOSへ貸し出してくれていたものでした。
2) SOSでの学習会
子どもの村の立ち上げメンバーである大谷さんと坂本さん、広報担当の森さん、理事の田代さん、資金担当の藤本さんらが出迎えてくださり、終日をかけて、プレゼンテーションや視察、交流会を設けてくださいました。
訪問者は、野村HDの池田さん、出口さん、住友商事の江川さん、りそなHDの三浦さん、「エクセレントNPO」事務局ボランティアの藤沢さんとご主人、そして私の7名です。
学習会では、次の方々がプレゼンを行いました。
・SOS子どもの村誕生の経緯(大谷さん)
・子どもの貧困にかかる現状と課題とSOSの役割(坂本さん)
・SOSの子どもたちの活動状況(大場さん)
・SOSの組織運営(藤本さん)
・子どもの村の見学
・エクセレント応募書類(自己評価書)へのフィードバック(田中)
・夕方から交流会
沢山のスライドや写真をご用意いただき、どのプレゼンも素晴らしかったです。大谷さんと坂本さんはSOSをゼロの段階から立ち上げたメンバーであり(しかも、大谷さんは82歳、坂本さんは75歳です)そのパワーに圧倒されました。ここでは、子どもの村が作られた経緯を中心に記します。
(3)「SOS子どもの村JAPAN」 ~世界でも遅れている子どもの養護とSOSの役割~
「子どもの貧困問題」
虐待、ネグレクト、疾病などで家族と暮らせない子どもの数万4.6万人にも及ぶといわれています。親と暮らしているものの生活保護世帯に暮らす子どもの数は30万、さらに相対的貧困にある子ども(17歳以下)の数は328万人です。
福岡も例外ではなく、市内で家族と暮らせない子どもの数は490人で、2004年を機に急増しています。
「初めて知った現状」
2000年初め、初めて児童相談所にやってくる子どもたちの現状を目の当たりにしました。年間400人の子どもたちが、虐待や育児放棄を受けて、一時保護を求めて児童相談所にやってきていたのです。家族の元に戻れない子どもたちは、乳児院、児童養護施設で措置されることになります。しかし、急増する子どもの数に、福岡県内の施設では収容しきれなくなり、他県の施設まで預ける状態になっていました。そこで、役所は、施設収容の限界に対応するために、里親で補填すべく、その数を増やそうと、地元のNPOに協力を求めたのでした。大谷さんは「虐待やネグレクトで悲しみや恐怖を経験した子どもが、知らないところに預けられると知ったら、どんなに怖い思いをしているのだろう」と思ったそうです。そして、地域の子ども分野で活動する団体の連携で、里親育成のための「新しい絆プロジェクト」が開始されました。
「子どもたちの養護の「社会化」「市民化」へ」
「新しい絆プロジェクト」を通じて、NPOだけでなく、企業、行政との協力が生まれ、次第に市内に変化が生まれました。子どもの問題が、福祉関係者だけに閉じられていたものから、市民の関心事となっていったのです。そして、子どもの養護は施設ではなく、家庭的な環境の中で行われるべきであるという認識も少しずつ広がってきました。多感な時期の子どもには、同一人物が一貫した愛情を注ぐことが必要です。しかし、施設ではそれが叶いません。しかし、里親であれば、家庭的な環境での養育が可能になります。しかし、里親の仕組みが機能するためには様々な主体の連携協力が必要でした。こうした議論を続けるうちに行政内部でも意識変化が生まれました。里親体制の充実は、施設補填のためでなく、子どもの視点から重要なのだという意識への変化です。ちなみに、日本の里親制度普及率は、他国に比較しても極端に低く、国連から勧告を受けています。
「千鳥饅頭総本舗 原田社長、SOSとの出会い」
2005年、福岡にある千鳥饅頭総本舗社長の(故)原田光博氏との出会いがありました。原田氏はオーストリアに菓子修行に行っていた時に「SOS子どもの村」を知り、是非、日本にも子どもの村を作りたいと思っていたのです。「新しい絆プロジェクト」や関係者の活動をみて原田氏が声をかけたのでした。そして、2006年元旦、「子どもの村」を福岡につくるという新聞記事がフライング気味で発表されました。しかし、「新しい絆プロジェクト」の関係者にとっては、未だ覚悟が決まっていない時で、随分と悩んだそうですが、同年3月には、覚悟を決め、「SOS子どもの村」創設に向けて大車輪で始動されました。
「子どもの村構想の実現へ ~地域、企業との対話~」
子どもの村構想を実現するためには、多様な主体の協力が必要でした。行政は制度面のみならず土地の提供をしました。また、福祉専門家や大学の研究者、医療機関、児童相談所、保育園や小学校の連携・協力も必要でした。こうしたネットワークを築く母体として、「子どもの村福岡を設立する会」を作りました(小児科医で福岡大学名誉教授 満留教授を理事長に、小児科医で元助役の坂本先生と千鳥饅頭本舗の原田宇治が副理事長、子どもNPOセンター代表理事の大谷さんが専務理事)。
「設立する会」のメンバーは、企業、地域住民、行政、専門家と協力要請のための対話を始ました。中でも、地域住民との対話は印象的でした。当初、子どもの村を受け入れてくれる地域がなかなかみつからなかったのです。養護を必要とする子どもたちが来れば悪いことをするのではないか、学校に悪い影響があるのではないかなどの懸念や先入観をひとつひとつ丁寧に払しょくしてゆく必要がありました。「子どもの村福岡を設立する会」の理事が、何度も足を運び、地元住民と話し合いを行いました。ちなみに、現在、地元の人々は、畑でとれた野菜を持参したり、庭の手入れをしたり、祭りに子どもたちを招いてくれたりと、SOSの応援団になっています。
また、企業の協力は大きな力になりました。SOS建設には3億円超の資金が必要でしたが、資金調達に一役を担ってくれたのが、九州電力の松尾会長をはじめとした経済界の方々でした。また、資金だけではなく、木材や建材を提供してくれる企業もありました。医師会や学校法人も募金に協力しました。SOSのマップには、各建物に企業や団体の名前がついているのはそのためです。
そして、2010年4月24日、ついに開村の日を迎えました。畑のど真ん中に、おしゃれなデザインの家屋が並ぶSOS子どもの村がオープンしたのです。5名(組)の里親がそれぞれ一軒家を構えることができ、数名(最大5人)の子どもを里親として養育します。これらの里親と子どもたちを事務局や専門家がサポートしています。2017年現在、村で養育した子ども数は65名、家庭に帰っていった子ども数は12名となりました。また、里親ファミリーを通じた子どもの養育に加え、県内の里親育成のための研修、一時預かりが必要な子どものための受け入れ、政策提言などを行っています。前述のように、子どもの貧困問題を背景に、適切な養護を受けられない子どものニーズは複雑に規模が大きくなっていますから、他の子ども系NPOや団体との連携を通じて、問題に取り組もうとしています。
3.SOSの自己評価書へのフィードバック
SOSは、第4回エクセレントNPO大賞および課題解決力賞を受賞しています。応募は、エクセレントNPO基準と呼ばれる15の基準に基づいて、自己評価書を記し、それをもって応募書類として、事務局に送付します。表彰式では、講評を通じて、自己評価書に対してフィードバックをしていますが、時間の制限から詳細までは説明できません。そこで、現地を訪ね、直接のフィードバックをすることになりました。これは初めての試みです。
フィードバックのポイントをごく簡単に記します。
・第4回エクセレントNPO大賞 応募団体の全体傾向とそこからみえる課題
・寄付者のリピート率について
・ボランティア登録者数と実施率について
・リーダーシップにかかる基準について、自己評価よりも審査点が高かった理由について
・また、課題解決力にかかる記述につては、簡単な図を作成して説明しました。これは、コメントというよりも、問題提起といったほうが適切かもしれません。
・適切な養育を受けられない子どもの問題は、その背景に、子どもの貧困という大きな課題が現存することから、現有の資源・活動でSOSがどこまで取り組むのか、あるいはどう優先順位をつけてゆくのかという点は、悩ましい問題です。活動を進める中でも、新たなニーズが見えていますから、なおさら、そうした議論が大事にみえました。
4. 意見交換会にみる企業人の視点
学習会では、活発な質疑応答が繰り広げられました。夕方からの交流会では、さらにストレートな意見が出されており、参加者にとっても、また、SOSの方々にとっても刺激のある機会だったのではないかと思います。様々な意見が出されていましたが、いくつか紹介します。
「子どもの問題の現場に触れてショック」
・子どもの村を訪問するとあって、子どもたちに会ったら、どんなふうに接してよいのかドギマギしながら来た(訪問時には子どもは不在)。
・こんな社会問題があることを知らなかった。社会にもっと知らせる必要がある。
・なぜ、問題を起こした親元に子どもを戻すのか?(それに対してSOS関係者から、次のような回答があった。子どもたちは親元に戻れると聞いた途端、表情が明るく変わる。たとえ、親に問題があったとしても、子どもにとっては親が大事。親が批判されると子どもは傷つき、親をかばうものだ。)
「自社のCSRと惹きつけて」
・青少年の自立支援プログラムを自社で行っているが、そうしたものとの連携ができないのか。
「組織運営や今後の戦略について」
・1.2億円の予算で、これだけの活動ができるはずがない。専門家などの無償の役務提供があるからこそなりたっている。これを金銭換算して顕在化させ、実際にかかる費用と比較して見せてはどうか。
・この活動をもっとわかりやすく説明する言葉や表現方法がありそうだ。
・SOSは、養護を必要とする子どもたちだけでなく、今津地域の拠点的なもの、地域に必要な存在になっているようにみえる。
・SOSは、ここにいらっしゃる方々の情熱、様々な専門家の協力によって、相当に手をかけて築かれたものである。しかし、モデル展開となった時に同じことをすることは難しいのではないか。そこを説明できれば説得力が増す。
・子どもたちの養育の在り方は一人ひとり異なるので、単純な方法論や標準化で広く展開することは不可能。それをどう制度として展開していったらよいのか。
・児童養護方や制度が大きく変わったと聞く。相場でいえば、潮目の時。このタイミングを掴み、里親制度の普及・促進に向けた活動をする時ではないか。
4. 新しい時代の“人”の交流を
本訪問は、いくつかの偶然が重なって実現したものでしたが、大変大事なことをいくつも学ぶ機会になりました。特に、超高齢化、人生100年の時代における、新しい人の交流の在り方を垣間見た気がします。
第1に、企業人と非営利組織との交流の在り方です。SOSでは、外資系企業を中心に社員ボランティアを受け入れていました。野外活動や子どもの工作のお手伝いなどが主なプログラムでした。こうした活動は他のNPOでもよくみられ、また人気があります。しかし、今回の交流や対話の様子をみていると、他にも様々な活動領域があるのではないかと思います。組織運営、戦略つくり、事業開発など企業人が仕事の中で培ってきた知恵や技術を上手に生かすことができるのではないでしょうか。また、知識ワーカーとして働いてきた人々にとっても満足度の高い仕事になるような気がします。
第2に、非営利組織が優秀な退職者を上手に活用できるということです。SOSでは、元法務省、元自治体職員、元助役など、優秀な退職者を専従職員として採用していました。いずれも、現役時代にSOSと接点があり、理解を示していた人々でした。その方たちが、退職し、第二の人生、職場としてSOSを選択していますが、誰もが熱く、子どもの問題を語っているのが印象的でした。
第3に、大谷さんの言葉でした。SOS訪問前日に、大谷さんと夜11時頃まで話をしました。その際、昨今のポピュリズム傾向や政治の低迷が話題になり、「何で多くの人が無関心を装うのだろう」と議論になりました。大谷さんは、「社会課題の現場に向き合っている人はそうなりにくいと思う」と述べました。課題の現場に向き合っていれば、政治の嘘や誤りを見抜くことができるので、ポピュリズム的に流されにくい。何よりも「声を上げ意見を述べる」モチベーションがある、ということだと思います。日本内外で起こっている昨今の現象に完璧な妙薬などないかもしれませんが、これは重要な視点だと思います。
SOS子どもの村JAPANの皆様、参加企業の皆様、ボランティアの藤沢夫妻には心から御礼申し上げます。
文責:田中弥生